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TOPICS/遺跡が出土

小池ビルのある中央区平野町は大坂城下町跡の一画にあたります。
豊臣秀吉は晩年の1598年(慶長3年)に、愛息秀頼のため三ノ丸を造成して大坂城の万全を図ります。その時、すでにあった寺や町屋の移転先がこの城下町でした。
1614年(慶長19年)、大坂冬の陣で灰燼に帰しますが、ただちに復興し、徳川の世を通して賑わいました。その繁栄ぶりは、発掘調査で見つかる様々な陶磁器の優品からもうかがえます。

それから400年。2010年に行った小池ビル建設予定地の調査では、徳川の時代にかわった直後(17世紀初)に作られた備前焼の壺、甕、徳利や丹波焼の壺、輪花鉢など21点もの陶器をきちんと納めた穴が見つかりました。
これほどの数が一度に埋められた例は城下町跡でも大変珍しく、その目的はまだ謎に包まれていますが、ここが歴史的に非常に貴重な土地であったことは想像するに難くありません。

財団法人大阪市博物館協会 大阪文化財研究所
清水 和明氏
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